「嫌われたくない」は単なる実務上の制約だった

「顧客から好印象を持たれなければならない」から解放された反動で、他人の気持ちを汲みたくない時期が来ています。

でも流石に嫌われるほどやりたい放題なのはダメなんじゃないか?

考えてみたけど、よくわからない。

第一に、私のやりたい放題は、しょぼい。内容がしょぼすぎて、他人に見咎められる、他人に嫌われるレベルに至らない気がする。

巨大なニシキヘビが逃げ出して、近隣住民が怖い思いをした事件があったけど、ああいうのがないから、嫌がる人がいない。

第二に、私のことを嫌いになる人間の絶対数が少ない。一緒に暮らす両親、ゲームする友人、映画を見に行く友人、弟家族、近所の人、配達の人ぐらいしか接しない。

勤め先、取引先、顧客がいなくなるとこんなにスッキリするものだとは…

嫌われる事案も少なければ、機会も少ないので、嫌われるという状況がいまいちピンと来なくなりました。めちゃめちゃラク。

働いていた頃は、勤め先、取引先、顧客などに嫌われると、イジワルされたり業績に響いたりと、仕事をより多くしないといけなくなって疲れるから、嫌われたくなかっただけかも…

誰から嫌われても悲しかった子供の頃の私はどこへ?

「気に入らない人間に余計な仕事をさせるような人には嫌われてもよい」と割り切っても、そういう人に実際に嫌われると面倒なことが増えるので、実務上の都合で嫌われるわけにはいかなかった。

実務をしなくなったら、併せて実務上の制約だった「好きだの嫌いだの」に悩まされることもなくなります。

快適。

仕事をしていても「好きだの嫌いだの」から解放される時間が一定量確保されるセミリタイアって選択肢、やはり、アリだったんだろうな…

いや、元の職場のままでセミリタイアって選択肢はなかったんだから、ナシか…

そんなことどうでもいっか…

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